「快」と「不快」で生きていく。

なちゅらぶという生き方*在り方

赤ちゃんの選択肢は

「快」と「不快」の二択です。

 

この2つしか選択肢がないのです。

 

お腹が減って不快で泣く。

おむつがぬれて不快で泣く。

眠くて不快で泣く。

ママにだっこしてほしくて不快で泣く。

ママが悲しそうで不快で泣く。

 

お腹が満たされていて「快」でよく寝る。

おしっこうんちがでて「快」で過ごす。

ママが抱っこしてくれて「快」でよく笑う。

ママが嬉しそうで「快」でご機嫌。

 

この二択しかない。

 

それが赤ちゃんだ。

 

だけど、

 

わたしたち大人は

 

そこに

「良」「悪」

が入る。

 

四択になるのだ。

 

二択の赤ちゃんと

四択のおとな。

 

交わるのはそもそも難しい。

 

 

***

 

じゃあわたしたちは

 

いつから

「良」「悪」

を自分の中に取り入れたのだろうか?

 

それはね。

 

それは。

 

人それぞれだろうけど。

 

あなたの幼いころを

 

想いだしてみて。

 

いつから。

いつから。

 

顔色をみるようになった?

 

いつから

いつから

 

お母さんの顔色をうかがうように、なった?

 

 

***

 

すべての子どもの

 

最初のミッションは

 

「お母さんを幸せにする」

 

だ。

 

親子はリンクしている。

 

へその緒でつながってきたその絆は

へその緒を切っても

見えないもので

 

繋がっている。

 

そう。

 

親子はリンクしているのです。

 

おかあさんが悲しいと

こどももかなしい。

 

おかあさんが嬉しいと

こどももうれしい。

 

このリンクを

 

自我が芽生えても

ずっと気づかずに

やり続けてる親子がいる。

 

 

 

そう。

 

わたしたち世代にそれはとても多い。

 

ながーいミッションを

今もなお

成人してもなお

 

着々と

もくもくと

真面目に

素直に

 

遂行している。

 

そんな子どもたちがいる。

 

 

***

 

「おかあさんのために」

生きている世代。

 

***

 

わたしは28歳まで

母のために

生きてきました。

 

そのことを自覚せずに

 

母と自分の

境界線がなかった。

 

常に常に

リンクしていた。

 

それは無意識レベルで

 

境界線を引く

 

ということを

 

お互いにしてこなかった。

 

その選択肢があることすら

 

わたしも

母も

 

知らなかったのです。

 

***

 

かすかな違和感から

からだへの強制終了

「境界線をむりやりにでもわたしがひく」

という暴挙にでたのです。

 

***

 

はなしを

「快」と「不快」

にもどしましょう。

 

 

この二択で生きてきた赤ちゃんが

「良」「悪」

を認識できるようになるのはいつだとおもいますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はやくて4歳です。

 

 

 

早くて、です。

 

 

小学校に入っても

 

わからなくたって

 

不思議ではないのです。

 

 

いま、4歳以下のお子さんを育ててるかたは

 

お子さんに「ダメ」と言っても伝わりません。

 

「ママは嫌だ」

 

とママが不快であることを伝えないと

 

わからないのです。

 

お子さんは、

 

理由はわからないけど、

なんかしらんけど、

ママが怒ってる、

 

という

 

結果しかわかりません。

 

ママとリンクしてる子どもは

ママが怒ってるのが

「不快」なのです。

 

ママが大好きだから。

 

ママを幸せにするためにここにきたのだから。

 

だから

ますます

「良」「悪」

 

でなく

 

顔色をみて

 

「察しよう」

 

とします。

 

どれが正解かわからないけど

 

ママを笑顔にしたい

ママを笑わせたい

ママのご機嫌をとりたい

 

 

***

 

ママを幸せにしたいだけなんだ。

 

***

 

 

我が家では

息子たちは二人ともゆうに4歳をこえていますが

 

いまだに

 

「だめ」

 

とはいいません。

 

「いやだ」

 

とわたしのきもちを伝えてます。

 

 

彼らは、もう

「良」「悪」

を理解できます。

 

が、

 

母である私自身が

 

「良」「悪」

 

で生きなくなったのです。

 

 

もちろん

 

人間だし

地球人だし

 

生きていくうえで

必要なルールはまもらねばなりません。

 

そのルールを教えるな、といってるのではなく

 

最低限をちゃんとおしえたら

 

あとは

 

「快」「不快」

 

で十分なんだ。

 

あかちゃんと一緒で

いいんだ。

 

そう腑に落ちたのです。

 

 

***

 

赤ちゃんにとっては

「理解する」

ということもありません。

 

あかちゃんは

「腑に落ちる」

という体験でしか

わからないのです。

 

あたまで理解する

 

ということができないのです。

 

わかれ!

 

と言っても

 

わからないのです。

 

「腑に落ちないかぎり」

 

その体験

体感をとおしてしか

 

かれらは

わからないのです。

 

 

「腑に落ちる」

 

には。

 

 

「快」「不快」

 

でしか判断できない。

 

***

 

わたしたちは

いつから

 

 

お母さんの顔色をみはじめたのだろう?

 

 

おかあさん

おかあさん

 

これやったらうれしい?

 

こうしたら喜んでくれる?

 

 

 

おかあさん

おかあさん

 

どうして泣いてるの?

 

どうして怒っているの?

 

 

 

 

どうして

 

 

 

出て行ってしまうの?

 

 

 

 

 

どうして

 

 

 

 

帰ってきてくれないの?

 

 

 

 

 

 

どうしたら「良い」の?

 

 

おかあさんを泣かすあいつは「悪い」やつだ

 

 

 

大好きなおかあさんに

 

 

ただただ

ただただ

 

 

笑っててほしかったんだ。

 

 

 

 

「良い」

「悪い」

 

を覚えたこどもたちは

 

 

 

「快」

「不快」

 

を封印してゆく。

 

 

 

 

***

 

わたしたちは

 

もう一度これをやるのだろうか?

 

 

 

 

 

大好きなおかあさんにしてきたように

 

我が子にも

 

やるのだろうか?

 

 

 

「これはこどもに良い」

「これはこどもに悪い」

 

 

 

おかあさんの笑顔をみるために

 

どうやったらおかあさんを喜ばせられるかを

 

子どものわたしたちは

 

終わらない「良い娘」を手放せない。

 

***

 

もう

もう

 

 

 

いいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

もう

もう

 

このへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう

もう

 

「良い」「悪い」

 

の選択肢は

 

忘れようよ。

 

一時的にでもいいから。

 

今日だけでもいいから。

 

 

 

 

 

ほら

 

目の前の

可愛いわが子が。

 

全身全霊をかけて

 

教えてくれてるよ。

 

あなたの「快」「不快」を思い出させるために。

 

全身で泣いて

全身で笑って

全身で満たされ

全身が震えあがるほどの愛と幸せを。

 

 

 

 

もう。

おかあさんのために生きなくていい。

 

 

 

 

 

本当なら

 

4歳で

 

自我が芽生えたあのときに

 

手放してて

 

よかったもの。

 

 

 

 

 

あなたの使命を

 

生きよう。

 

我が子と共に。

 

 

 

生きよう。

 

自由に。

 

とらわれず。

 

振り返らなくていい。

 

 

 

 

 

境界線をひくんだ。

 

お母さんにも。

いつか、我が子にも。

 

 

 

大丈夫だから。

 

 

 

 

 

Love,

 

~aiko narita.Alice~

 

 

 

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